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ぼくらはブログとアフィリエイトでどこに行こうとしてるのか?

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このサイトは私が運営するブログ塾で解説するノウハウと、拙著の特典PDF資料を配布するための場所でした。

これまで通りサロンメンバーさんに向けての情報は非公開でまとめていきますが、もっともっと吐き出したいと考えていることが多く、その一つが「ビジネス」について学んだことを共有することです。

実は私が一番興味のあることは「自己啓発」と「ビジネス」です。

それは小学生の頃から変わっていません。

思えば小学生の頃、読書週間にノーベルや、ファーブルなどの偉人伝を読み漁っていたのは、もともと「成功した人の話」が好きだったからこそ読んでいたのかもしれない。

三国志や幕末の歴史も大好きで、やっぱりその流れはいまも私の中で鎮火することなく燃え続けています。

つまり私が最も幸福を感じるのは「知らないことを知ること」なんでしょう。

検索エンジンという場所

ブログは検索エンジン上に自分の体験や情報を書き残しておける稀有なツールです。

ノーベルやファーブルの時代、それは書籍や紙切れのなかにインクを落として書き残すものでした。

それが今はデジタル上に日本語を残し、ビッグデータの一部に取り込まれることによって世界の一部として存在できるものになりました。

ブログはどこまで行っても「検索エンジン」と一蓮托生であり、どんなに時代が変化してもプラットフォームに依存する二次元の場所でしかありません。

ブログとアフィリエイトで私は救われた

二次元の場所でお金を稼ぎ、現実の生きる場所でお金を使う。

そのことの異常さを感じることもなく、今や多くの人がブログやアフィリエイトに取り組んで、生きる術を磨いているのです。

ネット上でも公表していますが、私は一度人間ひとりの力ではどうあっても抗うことができない社会のうねりに飲み込まれました。

そして放り出されて、社会の一部に組み込まれることの危うさを経験しています。

あれからもう10年。

私はいまも日銭を稼ぐことに必死になりながら、先祖から渡された命のバトンを落とさないように食いつないで生きています。

過去に何度も世の中の欲望の渦に巻き込まれた沖縄。

混沌と保守、安定と貧困の相反する社会を絶妙なバランスで保ち続けるこの南の島で、インターネットという二次元に張り巡らされた粘着性の高い情報の糸の一部となることを選択しました。

どこに向かうべきなのか

検索エンジンの向かう先というのはいまも昔も変わることはありません。

禁断の果実を食べてしまったことで手に入れた「知りたいことを知ることで得られる満足」という原始的な欲望がある限り、形は変わっても「検索エンジン」は今後も残っていくでしょう。

ブログとアフィリエイトは「検索エンジン」と一蓮托生であり、形はどうあれ価値を保つためにはルールを守って勝っていかないといけない場所です。

ブログとアフィリエイトは難しいものではなく、シンプルに「知りたいことを知ることで得られる満足」を情報で作ってあげることだけです。

検索エンジンは商業であり戦う場所なのだ

ブログで好きな人生を生きよう。好きなことで生きていこう。

広告収入を得て好きなことで生きていくためには、ビジネスの世界で価値を持っていないと不可能なことです。

需要がなければ価値は生まれないし、価値がなければお金は支払ってもらえない。

全ては「商業ベース」で作られた価値観であり、生きているだけで資源を消費する動物が生きるための手段としてポジショントークを展開しているだけです。

そこに善も悪もないし、あるのは「検索エンジン」というルールの中で勝つか負けるかを競うゲームに参加しているだけなんですよね。

検索エンジンを離れた場所で生きるためには

検索エンジンが示す世の中は一方的で攻撃的なものです。

人間が長い時間をかけて追求してきた芸術、言葉、哲学は検索エンジンで拾うことはできない。

結局のところインターネットは人間が磨いてきたものではなく、最終的に全ての労働から解放されるためのツールでしかないのです。

全ての労働、全ての迷いごとから離れた人生で何を突き詰めるべきなのか。

検索されない戯言こそ光り輝く人間の場所

検索エンジンは「知りたいことを調べれば答えが返ってくる」という便利な側面を持っていながら、1位以外の情報には価値がないということを突きつける側面もあります。

それに麻薬、アルコール、セックスについて書くと「グーグルが決めた広告基準に違反」するとしてペナルティを受けてしまいます。

検索エンジンはあくまでもグーグルが目指す世界を実現するための商業世界であることは知っておかなければいけません。

そんな残酷な場所で戦っていくために私はいくつかの人間的なものを捨てる必要がありました。

それが「話したいことを話す」ということであり、ブログで言うなら「検索エンジンに評価されない戯言」です。

戯言を自由に書く場所が必要ではないか

インターネットが初めてやってきた中学生の頃。

あのとき私がインターネットに感じた価値は「知りたいことを教えてくれる場所」ではなく「知らないことを教えてくれる場所」ということでした。

いまも知らないことは沢山あるけれどインターネットの世界は「検索できない情報」は埋もれてしまう。

このサイトではブログやアフィリエイトを続けていくために、私が学んでいることを吐き出す場所。つまり検索エンジンでは拾えない「戯言を書く場所」の役割にもしていきたい。

戦いながら自由になる

自由になりたいと考えると「自由とはなにか」に囚われる。

ブログで自由になるとは言っても、それはどこまでいっても検索エンジン上で商業価値を高めなければいけない修羅の世界です。

いつからこの世の中は修羅になったのだろうか。

赤ん坊や子供時代の思い出が、いつまでも人生の中で光り輝いているのはきっと修羅よりも位が高い世界で生きていたからだろうなと思うこともあります。

インターネットは限りなく広いけれどルールや束縛がある限り、それは想像以上に自分の思想を狭める原因となる。

それは肉体という束縛がある人間も同様であり、本当の自由というものは空想、妄想、思想や思考のなかでしか存在できない。

私たちは最初から自由を得ているのに、何かにとらわれて自分を狭めているし、私は果てしなく未熟者で、一生学んでいかなければ死んでしまう。

少しずつでいいから、私の小さな小さな思考の敷地面積を広げるために、未開拓地を開拓し続けていかないといけない。

そのために「ブログ」を活用していくし、これからも囚われの場所で勝っていくための技術を磨いていかないといけないのです。

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